ワタシの仕事は…設計事務所の管理建築士で一級建築士。設計屋と呼ばれることも多い職業です。この仕事に就いて…長いような短いような…そんなワタシの33年間。
東京時代
学校を卒業してからの11年間は東京で設計事務所に勤務。分譲マンションを中心に担当していましたから「住む人」と直接対話をする機会はほとんどありませんでした。なんか違うなぁ…と感じながら、それでも、デベロッパーに評価されると嬉しくてやりがいを感じていました。それなりにバブルも経験…今思えば、5棟の分譲マンションと2棟の住宅、その他少々を経験した11年間はアッという間に過ぎていました。
Uターン
東京の生活で…ちょっと色々あり、そんな時に父の病気が重なり…釧路へ帰ってきました。まだ、その時には設計の仕事をするとか考えないまま、父の手伝いとお小遣い稼ぎのパチンコの毎日を過ごしました。東京の友人から戻ってこないか?という誘いもありましたけれど…なんだか東京に疲れていたワタシは釧路に残る決断をしました。
実は勉強もしていたわけで…一級建築士はこの時期に合格したワタシ ^^;
当時、30歳をゆうに超えていた私が新規で勤められる設計事務所があるわけもなく…だったら自分で!!ということで、1級建築士事務所 設計処櫻を開設したわけです。
心に残る素敵な出会い
事務所を開設したとはいえ、仕事がすぐに舞い込むわけはなく(笑)工務店からの依頼を請けながら、紹介での住宅や店舗の設計を続けていました。当時は、一般的な住宅の設計を設計事務所に依頼する…ということが、ここ釧路では一般的では無かったように思います。
そんな中、2008年 素敵な出会いがありました。
【太陽と眺望を楽しむ家】の施主、Kさんご夫婦です。
一通のメールから始まった家づくりでしたが、真正面から真剣さが伝わってくるKさんご夫婦の家づくりに対する姿勢にとても共感したのを覚えています。
もちろん、それまでも色々な家づくりをしてきましたけれど、何というか、これほどまでに一つずつ大切に決めていく妥協のなさというところに感動したのです。
打合せは、2~4回/月の日曜日に行いました。
ある日の打合せで「キッチンを…造作にしたい」と奥さんからの一言。
元々、造作キッチンが夢ですというお話が有ったのですが…予算等を考慮して、この時点ではサンウェーブで進めようという話になっていました。
でも、そういうピカピカのシステムキッチンが古くなっていくのを見るよりも、古くなっても、それが年月を経てその家の味に変わる。その為にだったら、お手入れに手間がかかっても良い。手間をかけるほど愛しくなる、そんなキッチンにしたい。
そんな思いがヒシヒシと伝わってきて、これはやるしかないっしょ!と、造作キッチンに方向を転換しました。
それからは、使っている鍋や食器の量、スパイスの量、どんな料理を作ることが多いか…などなど、いろんな話をしました。
ピザを作るには作業台が必要だから、アイランドにして食器棚を兼ねた作業台が良い。スパイスのための奥行きの浅い棚を作ろう。レードルかけはどこが良い?背が高いご夫婦が使いやすいキッチンの高さは?などを一つずつ決めていきました。
その結果、白いタイル貼の天板と壁、KOHLER社の鋳物ホーローダブルシンク、ロジェールのガスコンロ、白いレンジフード…2人でキッチンに立つことができる作業台、そんなキッチンが出来上がりました。
キッチンを始め、隅々まで考えて悩んで一つ一つ決めた家づくり。
Kさんご夫婦にも大変喜んでいただけたお仕事でした。
礎-いしずえ-
それまでも何軒も設計に携わってはいたワタシですが…今思うと、このお家が今に繋がる住宅設計のワタシの礎となったお仕事だったと思います。
ブログを始めたのもこのお家がきっかけ。
そして、そのブログを読んで…このお家の写真を見て依頼されたお客さま、そして、それに続くお仕事の依頼。本当に、ここから今の流れができたのだと思います。
現在は住宅の設計監理を設計事務所に依頼するということが増えてきたとはいえ、残念ながら予算面もあり、まだまだ一般的にはなっていません。
Kさんご夫婦との出会いに心から感謝をしつつ、これからも、この時の気持ちを思い出し初心を忘れず家づくりのお仕事を続けていこうと思う今日この頃…なのでした。
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