あなた本意の家づくり

釧路の設計事務所、一級建築士事務所 設計処櫻のブログ

岐路の連続。人生を振り返るほろ苦い思い出

今週のお題「ほろ苦い思い出」

 

人生は岐路の連続だ。

いつも選択を迫られる。

還暦手前になり

あの時、あっちを選択していれば

今頃どうなっていたんだろう?

…と思い出すことも有るけど

引き返せないのが人生だし

そういうことを思い出すのは、今の生活に

少し余裕があるからのようにも思う。

ほろ苦い思い出。あれは…20代半ば過ぎ。

東京のとある設計事務所に勤めていたワタシは

デベロッパーの分譲マンションの計画・設計に携わっていた。

 

当時はちょうどバブルが崩壊したころで

急激に安価な価格帯が望まれていた。

たとえて言うなら、その2年前に川崎市で計画したマンションは

22㎡ワンルームで3,200万円だったのに対して、その年に

東京都山手線沿線で計画されたのは、65㎡3LDKで3,600万円だった。

 

それくらい落差が有ったころ、土地の有効利用がさらに求められ

大手デベロッパーでも支店同士で物件の争奪戦があったようで

当時勤めていた事務所がそれに巻き込まれた。

 

同じ土地に、どのような建物が建つかを支店同士のプレゼンで

決めるというカタチだった…ということを、あとで知らされた。

 

初めからプレゼンと知っていたら違ったプランができたのか?

というと、それは違うかもしれないが、ワタシが提出したのは

普通に手描きした平面プランと簡単な立面図のコピー。

あとで先方から見せられたプランは綺麗なプレゼン資料だった。

完敗だった。

プランの内容がどうこうよりも、渡された資料を見ると

ワタシでも、あちらを選んだだろうと思った。

たとえ、採光や排煙、日影などの法的クリアの問題や

構造的な?は有ったとしても…(笑)

 

そのプランは、とあるデザイン事務所のものだった。

と知ったのは

所長から「実施設計を頼まれた」という話があった時。

プレゼンに勝った会社はデザインはするけれど

設計はしない…ということらしい。

 

やるか、やらないか…の選択を迫られた。

プレゼンの進行自体、多くのだまされた感と

少しの屈辱感を感じていたワタシは

「やりたくない」と即答した。

所長は「わかった」と、これまた即決だった。

 

今、経営(個人事業主)する立場になって考えると

仕事を請けたかっただろうなと思う。

あの時の所長の年齢を超えた今のワタシなら

担当を変えてでも受注したかもしれない。

 

そのマンションは、約1年後に販売され即完売だったようだ。

法的問題はクリアされたようだった(笑)

 

それにしても、もしあの時、所長があの仕事を請けていたら

その年の夏のボーナスが0(ゼロ)ではなかったかもしれない

と思うと、ワタシも一呼吸おいて考えればよかったかな?と

少し反省した(笑)

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