はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
ワタシは昨年アラカンに突入した世代。
思えば…まぁ、色々ありながらも歳を重ねたものです(笑)
19歳の時に任天堂のファミリーコンピューターが発売されました。
今なら考えられない低クオリティーのゲームでも、100円を入れずに
家のTVで楽しめることに感動したものです(笑)
そんなワタシの現在に至るまでの『ネット時代の流れ』を記録します。
パソコンとの出会い 1985年~
ワタシが「端末」というものに初めて触れたのは20歳の頃。
某サッシメーカーに就職したワタシは、何を間違ったのか(笑)当時新規導入されたCADの社内インストラクターに配属されました。
この頃のCADシステムはメインコンピューターがあり、端末(今のデスクトップパソコンのようなもの)で操作したものが計算され反映されるものでした。
未だ、ワードプロセッサーで書類などを打ち込んでいた時代です。
その後、21歳で転職した設計事務所では逆日影計算だけに使うパソコンが有りました。確か…SEIKO社だったと記憶しています。
パーソナルコンピュータ…端末から独立して本体だけで計算させるものに初めて触った年でした(笑)もちろん、学生時代も構造計算をさせるパソコンが教授の部屋にはありましたけれど…まだまだ個人のパソコン所有率は低い時代。
仕事である図面はもちろん手描き、ファミコンはもちろんドラクエでした(笑)
終盤には、パソコンも普及してきて、ゲームも色々とでてきました。
テトリス、信長の野望などなど…操作はキーボード。マウスは存在していなかったと思います。
パソコン通信にハマる 1990年~
まだインターネットが一般に普及していなかった時代。
テキストでのコミュニケーションツールとして流行ったのがパソコン通信。ニフティやビッグローブが有料で提供していました。とても恐ろしい課金制というやつです。
文通、アマチュア無線などに次ぐ、初めてのキーボードテキストによるリアルタイムのコミュニケーションツール。大部屋から少人数の個室まで、様々なカタチでコミュニケーションを楽しめることが、とても新鮮で楽しく…ハマる人も多かったと思います。
( *´艸`) や (-_-)/~~~ピシー!ピシー! ←などの顔文字が生まれたのもこの頃。
ハマった人の中には課金が数万円にまで膨らみ生活を圧迫した人も多くいたようで…ワタシも一番ハマった時で3万円/月ほどだったと記憶しています…高っ(笑)
電話回線は、もちろん夜11時から朝8時まで月額定額料金の「テレホーダイ」
23時になると回線をつなぎなおす「テレホ落ち」という現象がありましたけれど、今思えば…繋ぎっぱなしでも切り替わったハズですよね(笑)
初めてオフ会というものに参加したのもこの頃。
最初は40数名のもの(だったと思う…)で、皆がハンドルネームで呼び合うことがなんだかとても恥ずかしかった記憶があります。
この頃使っていた、ワタシ史上初めてのパソコン。
NECのCanBe…OSはWindows3.1だったと記憶してます。
それまではMS-DOS仕様のパソコンばかりで、初めてマウスで次へ進める画期的なものだったと記憶しています。
世の中では、まだメールも存在せず…連絡は電話かFAX。
携帯電話もまだまだ一般には普及せず、ポケベルと公衆電話(笑)
PHSがでてきましたけど、まだまだ高くてどうしましょ?という感じでした。
図面は…まだ手描きが主流でしたし、パースも「絵」の時代です(笑)
パソコン通信からインターネットへ 1995年~
携帯電話が一般に普及し、着メロが流行った時代。
1997年にはDocomoがメールサービスを始めました。
ワタシ史上2台目のパソコン。NECバリュースター。
Windows95によって操作性もかなり向上し、パソコンを持ってる人が一気に増えた印象があります。
インターネットもどんどん普及して、パソコン通信のメンバーも次々とそのフィールドをインターネットへ移行していきました。
1998年のWindows98の発売と、1999年のADSLの誕生によってインターネットが急激に広まったように思います。
2チャンネルもこの年に始まったようで、今思えば、まさに「テキスト」で言いたいことを伝える文化の始まりがこの年代だったのでしょう。
仕事で言えば、この頃から図面をCADで描くということが一般の小さな設計事務所でも見られるようになりました。JWCADのDOS版が使い勝手が良かったようです。
それでもパースは手描きだし、まだまだ青焼きの図面も現役だった時代。
ワタシは東京から釧路にUターンしてきました。
初めてホームページを作ってみた 2000年~
世の中が「ミレニアム問題」に沸いた年末も無事に過ぎ去って迎えた2000年。
その年結婚した夫との出会いはインターネット。今でこそSNSやマッチングサイトなどでの出会いは珍しくは無いのでしょうけれど、当時はあまり聞いたことが無く…大きな声では言えませんでしたが、今になって思えば、その昔は出会いが文通という時代もあったのだから、そんなに珍しいことでは無いのかもしれません。
出会いはインターネットの「掲示板」でしたけれど、当時東京で仕事をしていた彼と色々と話をしてみると、実は東京で同じ建物(フロア違いの別会社)に勤めていたとか、行っていたお店が一緒だとか…妙に共通なことが多くて驚いた…というのが馴れ初め。こんなことを書くのは気が引けますけれど、これも私のインターネット史です。
そんな結婚から1年。
2001年10月にワタシは一級建築士事務所 設計処櫻を開設します。
最初から仕事の伝手があって開設したわけではなかったので…まずはホームページを作ろうということになりました。
フレッツADSLが始まり、通信速度も速く料金も安くなったこともましたし、当時IT関連の仕事をしていた夫の助けもあってホームページ第一号ができました。
すると…問い合わせがあるものです。釧路地域でも設計事務所を探している施工会社や個人の方が多く居ることがわかりました。メールでの問い合わせこそ少なかったものの、ホームページを見たのですが…という電話での問い合わせから仕事に繋がっていきます。
ホームページには「掲示板」もつくり、そこでは三重県や大阪、東京の同業者ともコミュニケーションをとることができました。そのつながりは、今でもFacebookで続いていたりするのですから凄いものです。
図面はCADで描くことが多くなり、パースもCGで作成することを始めました。
また、ネット上での設計コンペも開催されるようになり、ワタシも何度か応募したものです。
ブログを始めてみた 2005年~
あれよあれよという間に検索エンジンやサイトが充実してきました。建築関係のホームページを検索できるサイトも多くなり、問い合わせもメールが多くなりました。
この頃、現在の櫻の仕事スタイルに繋がるお客様との出会いがありました。
メールでの問い合わせから始まり、土地探しからお手伝いした素敵なご家族のための家づくり。今思えば、これが櫻のターニングポイントでもあった気がします。
このお家の進捗状況をお伝えしたくてブログを始めたのが2008年4月。
まだまだ打ち合わせなどはアナログでしたが、パースや図面は随分とデジタル化されたのもこの頃で、図面の保管などもデータでの保管に切り替えました。
ブログを続ける中でそれが原因での仕事上のトラブルが無かったとは言いません。
言葉で伝えることと、文字で伝えることは同じ内容でも伝わるニュアンスが違ったりするので、感情の行き違いがあったり、説明が難しかったり…と誤解を生むこともあります。
また、住む地域が違うと慣習や表現の仕方も違うことも多いのも分かりました。
気軽に問い合わせができるのもインターネットメールの良いところで、東京などから北海道に別荘や移住の相談が増えてきたのもこの頃です。
インターネットがあることで仕事の範囲も広がるけれど、こと建築に関して言えば建てる地域が違えば仕様も変わってきますから、その違いを伝えることの難しさもこの頃に経験したものです。
そしてこの頃、回線が光回線へと移行していき、新築の建物へのインターネット回線の引込が一般的になり、アパートプランなども出始めました。
Amazon、YOUTUBEのサービスが日本でも始まり、iPhoneが発売され、FacebookやTwitterも急激に広がり始めました。
それでも、まだWi-Fiは無く、全て有線でhubを使って家中に配線をしたものです。
事務所で使用するパソコンがhpやDellに変わっていったのもこの頃で、プランニングソフトの導入もあり、図面もパースもパソコンで作成することが普通になりました。
光回線が普及すると、今までは手渡ししていたデータも普通にメールでやりとりができるようになり、仕事のスピード感が増したように思います。
このブログで知り合った人たちとは、釧路、宮城、東京、埼玉、神奈川、大阪…を飛び越えて本当に親しくさせてもらい、それは現在に至るまで続くことになります。
さくら姐さん幼少期
ちょうどこの頃、設計処櫻という事務所名の由来「でっかいマメシバ」のさくら姐さんのホームページ「今日のジョセフィーイヌ」を夫(セバスちゃん)が管理していました。これが人気があって、とあるペットフードメーカーからバナー広告料として当時新発売されたペットフード1年分の提供がありました。
わんこもネットで自分のごはん代を稼ぐんだ~!と家族で驚いたものです(笑)
Facebook、LINEをはじめてみた 2010年~
仕事でのやり取りにメールを使うことが一般的になりました。図面やパースもデータでやり取りすることが 多くなり、便利になった分、時間的に忙しくなったような気がします。
世の中ではFacebookが流行り始め…ブログ仲間も多く始めたことから、ワタシも初めて見ました。ここで…ワタシはSNSの凄さを知ることになります。
気に入ったのは、ほとんどの利用者が「実名」だったこと。
今まで、パソコン通信に始まり掲示板やブログでは、リアルなお付き合い以外は基本的にハンドルネーム(ニックネーム)が主でしたから、責任を持たない言いたい放題も可能だったわけで…そこに違和感を持っていたワタシには、自分の言葉に責任を持たなければならない、この実名での交流が心地よかったのです。
Facebookを始めてしばらくたった時「もしかして〇〇?」…というメッセージがきました。〇〇とはワタシの旧姓。メッセージの主はなんと小学生時代の同級生。苗字も違うのによく見つけた!とビックリです。
中でも、保育園から仲が良かったのに、喧嘩をしてそのまま三十数年交流が無かった友人に会えたことは本当に嬉しかった。住んでいるところは近いのに、それまで10年以上気付かなかったのが噓のよう。
三十数年ぶりに〇〇小学校6年3組の仲間が集まれるって凄いことです。そして、それは今も続いています。
一方、LINEもはじめました。こちらは、ニックネームが多かったので抵抗があったのですが…この頃から、お客さまがLINEでの連絡が良いなどの要望があったため始めた…というところです。
メール、携帯メール、メッセージ、SNS、LINE…さまざまな連絡ツールが増える中、使い分けやそれぞれのデータの管理に頭を悩ませることも増えてきました。
この頃になると、工務店やハウスメーカーではプランニングソフトを使っての提案が普通になり、その使い勝手や仕上がりも格段に良くなってきました。
しかし、そういったデジタルなものが普通に出回るにつれ、アナログな手描きのパースの良さを再確認できたのもこの頃のことでした。
chatwork、Instagram… 2015年~
この頃になると、取引がある会社などではgroupLINEやchatworkの機能を使い社内でのコミュニケーションをとるようになりました。
ワタシがInstagramを始めたのはこの頃でしたが…ホームページ、ブログ、Facebook、chatwork、LINE…などなど、ツールが多くなりすぎることで時間的拘束も増えます。
メールなどは、自分の都合で24時間いつでも送ることができることが最大のメリットだとワタシは思います。相手が着信アラームを設定していない限り迷惑は掛かりません。
一方、受ける側もその返事を自分の都合でできるものの、その処理に多くの時間が必要になってきます。
会って話すよりも、電話で伝えるよりも、テキスト文章で真意を伝えることは難しいものです。それを補うための資料作成にも時間を取られます。
例えば…会って話をするときには、図面に赤ペンで記入しながら、カタログを見ながら…説明をしますが、メールの場合は、それらのデータを作成して文章での説明になりますから、内容によっては、かなりの時間が必要になることもしばしば。
また、主に仕事上ですが、日時や内容が残るメールは、言った言わない…というトラブルが防げる反面、あとに残るからこそキッチリとした誤解のない内容を送ることに十分に気を付けなければなりません。
ポケベル+公衆電話から携帯電話、そしてスマホやタブレットに変化するにつれ、とても便利になった反面、どこにいても鎖につながれているような煩わしさを感じることもしばしば。
携帯電話が一般的になったせいか、会社の電話対応ができない新入社員が多くなったとも聞きます。昔、彼女や彼の家に電話をする「誰が出るか分からない」緊張感も今になって思えば社会勉強になっていたのかもしれません。
そしてSNSにより、子供たちが仲間はずれになったり、いじめに発展したり、会社でのパワハラに繋がったり…匿名での誹謗中傷も社会問題となっています。
そんなこんなで、少しSNSやブログの投稿をしていなかった時期もあった中、長く続けてきたブログサイトが閉鎖することになり、ワタシは「はてなブログ」に移行しました。その時の仲間は、それぞれ自分で選んだところへ…。少し寂しい気もしますけれど、Facebookでもリアルでも繋がっているので大丈夫です。
ところで…はてなぶろぐでは、どうやって仲間をつくるのか…いまいち分からないワタシ…そろそろついていけないのかもしれないと不安になります(汗)
コロナ禍…ZOOMで繋がる 2020年~
この間、三十数年…20代だったワタシも今やアラカン。
コードが無い電話が良いな~と思ってたら、子機ができた。
外に持ち歩けたらいいな~と思ってたら、携帯電話ができた。
画面を操作して直接絵が描けたら便利よね~と思ってたら、そうなった。
パソコンのキーボードを打つのが遅くて、言葉で話したら文字になるなんて良いよね~と思っていたら、本当にそうなった。
建築の業界もそうですが、世の中、この30年の技術の進歩と発展はものすごいスピードで進んでいます。それはそれは凄いスピードで…。
田舎に住んでいても…いえ、田舎だからこそのビジネスチャンスがあることに期待を寄せる人も多くなってきました。
また、インターネットを通して世界中の色々なことを知ることができる中、そこに住んでいるからこそ分からない地元の良さや新しい発見をする機会を得られたのもワタシにとっては大きなことでした。「何もない」が「贅沢なこと」に変わるきっかけ作りに大いに役立つのもインターネットの凄いところです。
そんな時、世界中を震撼させるパンデミックが起こります。
2020年3月、北海道は札幌を中心に感染が広がり、全国に先駆けて緊急事態宣言が出されました。
一切のイベントや会議が中止される中…広がったのがオンライン会議。
最初は戸惑ったZOOM会議も回数を重ねるにつれだんだんと慣れてきましたし、お家時間が増えたことでブログの更新回数も増えたように思います。
人と触れ合う機会が激減した中でのコミュニケーションツールとしての「インターネット」の役割はとても大きい。
いつのまにか「ソフト」が「アプリ」と呼ばれるようになり
「買うもの」から「ダウンロードする」になり
サブスクなる形態が普通になったり…と時代と共に仕様やツールの変化が激しい昨今。
インターネットは知識や情報を得るためでもありますけれど、「自分と誰かを繋ぐため」に存在するものだとワタシは思います。
インターネット上の情報全てが正しいわけではないし、人の意見をそのまま鵜吞みにすることは危険なこと。世界中には様々な情報が垂れ流されていて、それが多数派だから正しい、少数派だから間違っているというものでもありません。
簡単に情報を得られる世の中だからこそ、その判断は自己責任となるところが大きくなり、自身の「見極めるチカラ」が重要になってくるのだと思います。
そして、相手の顔が見えなくても、その人を思いやる気持ちが少しでもプラスされれば、インターネットの世界はもっと快適になると思うし、そうなるように祈りたいと思います。
さて、これから10年後、20年後のインターネットは、どのように変化していくのでしょうか…。どこまで見届けられるか…とても楽しみなワタシです。