その日の朝、マルシンハンバーグが50周年だという記事を書いた。
普通どおりに仕事をして、午後14時から建築会社の担当者と打ち合わせをしていた時に、その時はきた。
今まで経験したことが無い、ゆっくりとした、周期の長い揺れが続いた。
釧路はもともと地震が多い地域なので、ある意味慣れてはいるけれど、それでも何か不気味に感じる揺れだった。
TVから流れるニュースに驚いたし、津波の画像に震えた。
この時から、原発事故も含めて日々被害が拡大していきました。
私はブログで情報を発信したりしかできずでしたが、友人の無事が確認できたことに安堵したことを覚えています。
そして、この日から私たちの仕事にも変化が訪れることになります。
建築士として、私達に何ができるのか?
業界としては、住宅を建てるために土地探しをしていたお客さまが、できるだけ標高が高いところに探すようになったり、津波がきても流されない家はできないか?を考えたり、命を守るためのシェルターを考えたり、地震に強い構造が考えられたり…と、さまざまな工夫や開発がなされてきました。
行政でも避難所や非常食や備品などの備蓄を拡充したり、大企業では災害時に近隣での避難者を受け入れるような体制を整えてきています。
そしてそれは、みんなが実践する防災(減災)へも繋がり、様々なセミナーや講習会、ワークショップが色んな地域、カタチで開催されてきました。
それにより防災への意識が高まり、防災グッズを備える家も多くなっていると思います。住宅の計画をするときに防災袋をどこに置こうか?という話も普通になりました。
行政からの依頼をうけて建築士会として、DIG(紙上避難訓練)やHUG(紙上避難所運営ゲーム)などを用いたワークショップを地域(町内会など)ごとに開催する事業を行っていましたが、近年…時間が経つにつれて機会は減りました。
やはり年月が経てば、あの時の気持ちや意識は色あせてきてしまいます。
特に、このコロナ禍では 活動が大きく制限されていますから余計かもしれません。
私が所属する北海道建築士会釧路支部の女性委員会では一昨年からですが、「女性視点からの防災」ということで、一般の方(女性)の参加を募り、全3回のワークショップ開催を予定していました。
内容としては、「女性視点からの防災」をコンセプトに、女性ならではの問題を提起しどう解決するかを、HUG(紙上避難所運営ゲーム)を用いながら議論するというもので、最終形として防災の冊子を作ったり、行政にお願いをする…ところまでのはずでしたが、2回目を終えたところでコロナで中断してしまっています。落ち着いたら、再開しようとは思っているのですが…いつになることか。
福島の原発事故を経て脱原発という考え方も定着し、ここ10年で再生可能エネルギーが盛んに進められましたが、それも投資目的が大きくなり、自然の中にソーラーパネルが並ぶ気味の悪い風景も増えてしまっています。地球温暖化を防ぐために自然環境を壊している…そんな矛盾も感じてしまう事業ですが、今は止められないのでしょうね。
進歩したものもあれば、停滞しているこの、そして色あせてしまったものもある。
そして、新たな問題の種も蒔かれ育ちつつある。
長いような短いような、そんな10年。
現在の野蒜駅 → 東松島市, 宮城県 - Google マップ
この経験を風化させないためにワタシ達ができること。
それぞれの立場で、それぞれのやり方で
これからもずっと続けていくことが大切なのだと思います。
改めて
犠牲になられた方のご冥福をお祈りすると共に
被災された方へお見舞いを申し上げます。